未来はこの願い叶う場所

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深く考えずに自担を浴びようとしたけど無理だった【舞台 粛々と運針】

この春から仕事環境が変わって、心の中で不安の渦が常にぐるぐるしている私…。まだおさまることを知らないコロナという存在は、当たり前になっているものの不安要素のひとつであり、楽しみを物理的にも精神的にも制限する厄介もの。そんな日常に光を差してくれるのが…現場!1つ前の週にはKAT-TUNのコンサートにお邪魔したのに、1週間も経たずして次は自担である加藤さんの舞台。昨年の『モダンボーイズ』は残念ながら公演中止になってしまったので、舞台で加藤さんを観るのは2017年の『グリーンマイル』以来。ワクワクだけではない、なんともいえない緊張感も引き連れて会場へ…。大阪城ホールに行く時におなじみのJR環状線に乗る。コンサートと違って舞台なので、同じ現場に向かっている人たちがきっとこの電車にも乗っているはずなのに…見た目じゃわからない。グッズでトートバッグもあったけど、コンサートと比べたら買う人は少ないだろうし…。初めての森ノ宮ピロティホールということで、ホームページを見たり地図で位置を確認したりしたけど、道が心配になってきた。だけど、駅前で信号待ちをしている時の前にいる女性2人…なんだか自分と同じ匂いがする。これはもしや…ということで、時間もあったのでまさかの勘を頼ってみることに(笑)すると、あっという間に見えたクリーム色の建物。これが!あの!

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(はじめまして、ピロティホールさん!)

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古き良き劇場という感じで、2階席は無いけど天井はかなり高くて迫力があった。A列からまさかのZZ列まであったけど、後ろの方でも観やすくて良い!椅子も、2公演観劇したにも関わらず痛くなりにくかったし、ありがたや…。駅からも近いし、また機会があれば来たいと思える会場だった。

お昼の公演は、フォロワーさんから譲って頂いたチケットでの入場で、夜の自分のチケットよりも前の席だった。公演の合間には、フォロワーさんたちと合流して駅の方まで戻ってベンチでお話したり、キューズモールの喫茶店に入ってお話したり。とにかくジャニヲタワールド全開のトークが楽しくて、聞いているだけでも幸せを感じた。舞台の感じ方は人それぞれなので、あまり舞台自体には触れず…この1年くらいで行ったコンサートの話が多かった。夜の公演も終わると、またフォロワーさんと合流し、駅まで向かった。一回り以上歳下のペーペー小僧もお供させて下さるお姉様方、優し過ぎる(涙)

開演時間に鳴る、時計の“ボーン”という音。普通なら(?)“ブー”と、ブザーがこもったような音が鳴るはずなんだけど…。演奏者2人がステージに登場し、演奏が始まる。独特で、幻想的で、天才が考える脳みそ覗き込んでいるのか、はたまた、人間の神秘に足を踏み入れたような音楽…。

登場人物は関西弁の夫婦、標準語の兄弟、そして謎のお婆さんと幼い女の子…?夫婦と兄弟は靴を履かず、お婆さんと幼い女の子は靴を履いていて。それぞれ、場面交代をしながらペアで会話をしている。夫婦は子供を作らないことを条件に結婚したけれども、もしかしたら妊娠したかもしれない状況(生理が来ない&今までにない体の違和感があるものの、まだ病院で診てもらってない)で、兄弟は、母親が入院していて久しぶりに会い、母親が亡くなった後の話をしている状況で、謎のお婆さんと幼い女の子は桜の話をしている。

夫婦の子供がもし出来ていたらの話と同時進行で、その家のどこかから子猫の鳴き声がしていて…妻は夫に子猫を探してとお願いするも、小動物が嫌いな夫は、見つけても捕まえられないという。対してお腹にいるかもしれない子供は…夫は“お父さん”という役割ができて実は嬉しいけど、妻は“良いお母さん”になれるか不安だから産みたくないと。妻の年齢が38歳と、世間で言う“ラストチャンス”*1だからとか、子供を自転車の前に乗せたらガニ股で漕がないといけないから嫌とか、最初はお互いになかなか本心を言わなかった夫婦。だけど、標準語の兄弟の会話と話が交差していって…。彼らは彼らで、未来の話をしていた。40代になってもコンビニでバイトをして、学生時代の同級生には「時間が止まっている」「化石だ」と言われている兄と、就職して結婚して、まだ子供がいない弟。彼らの母親は病気で入院していて、この先母親が死んだら…お金やら実家(持ち家)やらを分配しなければならない。先に夫を亡くしている母に、恋人らしき人物が最近できたようで、戸惑う兄弟。しかも、母親が「尊厳死」というワードを口にしたのでさらに驚く2人…。結婚せず彼女もいない兄は、亡くなった父に似ていて激昂しやすく、変なこだわりもある。一方弟はわりと常識人で、父や兄とは対照的に冷静。…というか、2人が激昂するので冷静にならざるを得ないというのが正直なところ。だけど、そんな彼も叫んで怒りを露わにしたシーンがあった。それは、兄からの「子供がいればなぁ〜」+母からの「孫の顔が見たい」というセリフを、度々言われた時のこと。妻との間には子供がいないが、先程の夫婦のように、子供を持たないことが結婚の条件だったのか?それとも他の理由があるのか?私も鑑賞中に色々考えたけど、幾つも思いついて逆に頭がこんがらがった…。とにかく理由が何にしろ、家族でも言いにくいことなんだろうという結論に自分の中でなった。実際は、妻に子宮筋腫という病気があることだった。子宮筋腫自体が生活に悪影響を及ぼすことはないが、筋腫が出来ている場所が悪いので…子供を産もうと思ったら、まずは筋腫を取り除かなければならないということだった。妻として、旦那にはもちろん話すけど義理の家族(しかも異性)なら特に言いにくいこと。なのに兄は「何で言ってくれないの?」と…。その時「人には言えないこともあるんだよ!」と感情的になった弟。単純に言いたくないとか、家族に心配をかけたくないとか、理由はそれぞれあれど、家族にすら言えない、言いたくないことは誰しもあるんだと改めて思った。

謎のお婆さんと幼い女の子、物語が始まってしばらくは一体2人が誰なのか、どういう立ち位置なのかがわからなかったけど、物語が進むにつれ何となく察することができて…。2人はずっと何か裁縫をしながら話をしていて、お婆さんが幼い女の子に色々この世の世界を教えてあげている。お婆さんは標準語の兄弟の母親で、幼い子供はきっと関西弁の夫婦の子供…。会話を聞いていて、お婆さんは標準語なのに女の子は関西弁だということに気づいた。そして、始めの方で書いたように、他の人物とは違ってこの2人は靴を履いていた。それはきっと、この世に居ない2人だから…。もうこの世に居ない人(全身)を想像する時、確かに靴を履いているかも…!と私は思ったので、この世に居ない人達なのかなと。お婆さんの方はセリフで「私の子供たち」とあったので確実。幼い女の子は、きっと母親のお腹の中でまだ人にもなり切れていない状態、まだ命とも呼べない物体の状態なのに無理やり外に出されたから、桜すら知らないんだろうなと。そして、裁縫のことを「チクチク」と表現することを疑問に思い「タクタク」じゃダメなのかと言い出して…お婆さんが「チク」女の子が「タク」と、2人で「チクタク」と時計の針が進むような音に。

未来という、まだ見ぬ子供の話をする夫婦。そして、未来という、母親が死んだ後の話をする兄弟。家族構成や年齢は違えど、自分の立場や思想と被る所もあり、つい、自分の立場になって考えてしまった。

とにかく、最後まで走り抜けて大千秋楽を迎えられたことに感謝だし、お疲れ様でしたと言いたい。このご時世、また大阪公演が中止になったり、そもそも全ての公演が中止になったりする可能性だってあった。けれども、キャストをはじめ、スタッフさんや会場の方々、そして観劇者が守るべきものを守った結果、最後まで行くことができたのだと思う。

今まで、いくつかの舞台を鑑賞してきたけれども、今回のような会話劇は初めて。一切セットチェンジが無いのに、音やライティングや方言で区切りをつけ、会話と演技で見えないセットが見える…。キャストは、河村花さんだけ存じ上げなかったけれど、それ以外はテレビで観たことのある方々で。最近のドラマや、好きなドラマに出ていた方ばかりで、かなり胸が躍った。

当初目標にしていた“深く考えずに自担を浴びる”なんて、舞台では到底無理な話だったのに…どうして観るまで気づかなかったんだろう。実際の年齢よりも6歳上のアラフォー男性の一(はじめ)を演じた加藤さん。しかも未婚で彼女すらいないし、定職につかずずっとコンビニでバイト…。実家に住み着いてるし、いわゆる子供部屋おじさんってやつ?彼としては、それなりに楽しく有意義な人生だったけど、人は1人では生きていけなくて。嫌でも誰かから生まれてきたわけだし、生きているか死んでいるかは別として、家族という存在が全くいない人間はこの世にはいない。人は人に影響を与え、影響を受ける。だから人生はそうそう上手く行くわけではないし、面白い。標準語の兄弟も、関西弁の夫婦も、一般的などこにでもいそうな家庭。そんな家庭の、家族の生死で人生の分かれ道に立たされる兄弟と夫婦の物語…。家族が亡くなったり、新しい命が生まれたりするということは、家族の形が変わるということ。その変化を、どう受け止めようか。

*1:今や40代の出産は普通だけどね…